僕たちの果て


 会えない時間は愛なんて育てない。疎遠にしていくだけだ。

 それは、経験の上で知った事実。
 『お前はつき合う相手が悪いんだよ』と大庵は響也に言っていたけれど、離れた身体の距離だけ心も遠くなってしまうという理屈に、現実が当てはまってしまう事は理解出来た。
 だから、自分ではなく、側にいてくれる相手を選んでしまう恋人に『否』を告げる事が出来なかった。でも、それは、その程度のことで手放してしまっても良い相手だったのではないか、今ならばそう思える。

 もうどっぶりと日が暮れたオフィスから見る街は、確かな明るさを保っていた。
 それでも、青から赤へと変わっていった空は、雲に覆われているせいなのか星ひとつ探せない。漆黒の闇は街を覆い未だに眠りを拒む場所だけが、イルミネーションに輝いている。
 普段と変わらぬ音量を響かせているはずなのに、多少物寂しく感じる部屋。机に投げ出していた携帯を開いて、発信履歴を眺める。
 日付の違う同じ時間と同じ相手。しかし、オフィスの時計は常なる時間を遙かに越えた場所を示していた。

『おデコくん、もう寝ちゃったかな』
 音を立てて椅子に身体を預けて、突き出した手に携帯持って見上げる。朝の早い彼の事だ、きっと早寝の習慣なのに違いない。怠ってしまった定時連絡をするのも、今更だろう。怒らせるのも時には楽しいが、接点の少ない現状でそれは酷く寂しかった。オブラートに包まれない嫌味は遠慮したいところだ。
 指先で操作した画面は着信履歴を表示する。仕事関係の名称ばかりが並ぶ其処に彼の−王泥喜法介−の名は無い。
 響也は、綺麗に弧を描いていた眉を歪ませる。幾つかあったはずのものも、押し流されて消えてしまったようだ。
「ちょっと、寂しいな。」
 ぱたんと音を立てて携帯を閉じて、胸元に置くと両手で抱くようにして目を閉じた。祈るような仕草だと思うと気付き、なんとなく笑みが浮かぶ。
 一方的に盛り上がる恋だって嫌いじゃない。相手に対してアレコレしかけるのだって結構楽しい。
 法介に対しても最初はそう。今だに煩がられていたのはわかっていたけれど、纏わりつくのはお手のもの。だから、定時連絡が来なかったからと言っても法介の気は引けない事も承知している。
 それでも、胸は痛む。未練でも、執着でもなく彼に逢いたい。
 そして、ただ疲れてるんだと言い聞かせて、未だに減らない書類の束に視線を戻した。 

 
 
 時間が過ぎていく早さというのは、歳を取れば、取っただけ早くなるものだと王泥喜は知った。
 仕事に追われ、気付けば1週間返信をしないでいた…なんて事も近頃ざらになっていて、思い返せば、あれだけ忙しい日々を送っているはずの相手が、ちょくちょく顔を出してくれたり、連絡を怠らない事が奇跡に思えてくる。
 
 なのに、今夜は連絡が来なかった。

 何かあったのだろうかと不吉な思いが頭を過ぎり、特徴的な前髪が吹き飛ぶのではないかと思うほどに頭を振る。
『便りがないのは元気な証拠』そんな事を口にしながら、王泥喜は事務所のテレビを付けた。
 興味を引く番組をしていた訳じゃない。
 何か事件に巻き込まれているのなら臨時ニュースのひとつも出ているだろうと思ったのだ。その意図に反して、お笑い芸人達がトークをする番組は何事もなく進行していた。
 落胆と安堵の両方が混ざり合った表情でズボンのポケットから携帯を取り出し、開いた途端、王泥喜の呼吸は溜息に変わり、眉間に深い皺が寄る。

 みぬきちゃんの仕業だろう、待ち受け画面が響也に変わっている。

 あれほど駄目だと言ったのにと、データを開きお仕着せの画面に変更すべく中を覗けば、ズラリと並んだプレビュー画面はまるで牙琉響也の写真集で、思わず目眩がして机に突っ伏した。心なしか頬が熱いのは気のせいだ。
 いつの間にこんなに溜まっていたのだろう。
 自分で撮ったものは全くと言っていいほどないが、データを消去出来ずに放置していた結果がこれだ。他人に見られたら、王泥喜法介は、こんなに「牙琉響也」が好きだという証拠になってしまうはずだ。洒落にならないと慌てて全消去を選んだ指は、しかし、ボタンを押す前に止まった。
 画面には、微笑んでいる牙琉検事。
 クリックすれば、背景は様々で一緒に出掛けた場所、成歩堂なんでも事務所と変わっていく。けれど、其処にいる人物は変わりなく微笑んでいて、ふいに逢いたいという言葉が脳裏に浮かんだ。
 そうして、王泥喜はむっとした気分になる。今日に限ってどうして連絡して来ないんだ。今なら少しは、それらしい言葉もかけられそうな気がするのに…。

「牙琉の…奴」

 けれど、口をついて出た言葉はそんなもの。ひょっとして俺は、牙琉検事に甘えているのだろうか?
 仕事で係わる相手にも、成歩堂さんにも、みぬきちゃんにもこんな風に接する事はないと気付くと同時に、確信に変わった。
 連絡しなくても鳴る携帯や会いに来る彼に、安心していた。だから、鳴らない携帯にやきもきしている。…それでいて、こっちからは連絡しないとか、どういうんだろうなこれ。
 頭を抱えて机につっぷしたまま、王泥喜は大きく溜息をつく。テーブルに放置され、くの字に曲がった携帯は、ふいに着信を告げた。


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